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引退公演となった2021年4月文楽公演千秋楽の「国性爺合戦 楼門の段」で、錦祥女を遣う人間国宝の吉田簑助さん=大阪市中央区の国立文楽劇場、日経新聞代表撮影

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで、華やかで表情豊かな表現でファンを引きつけた人間国宝の吉田簑助(よしだ・みのすけ、本名平尾勝義〈ひらお・かつよし〉)さんが7日、大阪市内の病院で死去した。91歳だった。葬儀は12日正午から大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。喪主は妻匡子(きょうこ)さん。

 大阪市出身。父の桐竹紋太郎も人形遣いだった。1940年に6歳で文楽に入門し、桐竹紋二郎を名乗った。61年に三世簑助を襲名。女形、立ち役(男役)のいずれもこなし、特に娘役は師匠の吉田文五郎や桐竹紋十郎譲りの華やかでかれんな芸風で高い人気を誇った。

 立ち役の初代吉田玉男と名コンビを組み、戦後退潮しかけた文楽人気の盛り返しの中心を担い、94年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

 98年に大阪・国立文楽劇場の楽屋で脳出血で倒れ、入院したが、リハビリを重ねて翌年には舞台に復帰した。その後も「曽根崎心中」のお初、「本朝廿四孝」の八重垣姫など大役を演じた。「艶容女舞衣」のお園、「新版歌祭文」のお光、「仮名手本忠臣蔵」のお軽など多くの当たり役を持ち、80歳を超えても舞台に立ち続け、2021年に87歳で引退した。一番弟子の桐竹勘十郎さんら後進も多く育てた。

 06年にはパリ公演などの実績が評価され、仏芸術文化勲章の最高章コマンドールを受章。09年に文化功労者、12年に日本芸術院会員。著書に「頭巾かぶって五十年」などがある。

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